たからばこ

好きなものを好きなだけ

アイドリッシュセブン メインストーリー 第6部 5章 感想

 

 

 

とりあえず急に結さんのビジュ出すのやめな!?!!?驚きすぎて思考停止した。ビジュに全てを持っていかれてCV付いてるのにもしばらく気付かなかった。

声優さん誰なんだろ?紡ちゃんと似てるようだけどちゃんと別人で、親子であるのにすごくしっくりくるお声だったな。

 

若かりし日の音晴のお坊ちゃま感と宗助の陰キャ感がたまんね〜!!!その頃の実際の二人がどんな人だったのかは知らないけど、このビジュからしか得られない栄養がありました。

あと声優さん変わってないのに二人とも声が若くてすげえなって思った。

 

『最高じゃないライブなんてない』ってのは本当にその通りだと思うんだよ。アーティストもスタッフもファンも、その日を最高にしようとたくさん準備してるんだもん。その集大成のようなライブが最高じゃないわけない。

だけど人が創るものである以上どうしたってトラブルは付きもので、そもそも最高のライブなんてものは正解も形もないものだから、その日のライブが100%完璧だったかと言われればそれはまた違う。

結さんが目指していたものは、アイドリッシュセブンが目指していくものは、アーティストもスタッフもファンも世界中のみんなもあのライブは最高だった、100%完璧だった、特別なものだった、って何年経っても言えるようなライブを創ることなんだろうな。

それって出来たら、きっと本当にとんでもなくすごい。

そしてそれは、正解がない世界だからこそ楽しくて、やりがいのあることなんだと思う。

 

『たとえ、すぐに消えてしまうものでも、鮮やかな思い出は、永遠に心に残って、生きていく』

この言葉に、A3!の「一瞬の永遠」に通ずるものを見た気がした。

アイドルのステージでも、演劇の舞台でも、スポーツの試合でも、人が創りあげる奇跡のような何かの行き着く先は結局そこなのかもしれない。

たった一瞬、けれど確かに存在し、その後永遠に人々の心に残り続ける時間。それを創りあげることこそが彼らにとって最高の夢であり、簡単には成し遂げられない偉業。だからこそそれは奇跡で、特別なものになる。

 

たかだかその辺のソシャゲのストーリーだろと言われるかもしれない。それでも私は、このアイドリッシュセブンというコンテンツで永遠に忘れられない一瞬に出逢える気がしてる。

というか正直、もう十分に体験させてもらっているんだよね。ストーリーにしてもそう、リアルタイムでメディアミックスな展開にしてもそう、リアルライブもそう。あの日あの時の衝撃を、感動を、忘れられるはずがない。

あのたった一瞬があったから、今の私がここにいる。人生ってそういうことなんだろうなぁと、悟ったようなことを思ってみたりした。

 

 

MEZZO”に絆はありました』めちゃくちゃ笑った。相変わらず自己完結型の男、逢坂壮五。

まぁそういう気質的なのはそう簡単には治らないよね。

 

でもさ、同じ自己完結でも初期の壮五さんなら「僕らに絆は本当にあるんだろうか?環くんはそう思ってないかもしれない」ってなってた可能性が高いと思ってて、それを考えたら「ありました」って言えるようになったのはめちゃくちゃすごいことだなって思った。

だって言い切りだよ?しかもそれを環くんに伝えたんだよ?それって余程の自信と相手への信頼がないとできない事なんじゃないかと思う。

同じ局面でも時期が違えば全然違う道に続いてたんだと思うと、ほんと面白いよなあ。こうやってこれまで彼らが積み重ねてきたことを感じられるのは嬉しいね。

 

卑屈になっちゃってる環くんを見るの辛いな…本当はそんな子じゃないのに…と思ってたら九条天!!!!!!私は本当にあなたが大好きだよ。

 

他人へちゃんと「あなたが好きだよ」や「あなたの話を聞かせて」と伝えることがこんなに上手い18歳って何…??ほんまとんでもない。

『だとしても、ボクに怒って。自分をいじめるようなことは言わないで。』あんまりにも私の好きな九条天だった……この人のそういうところはもうずっと変わってないわけですよ……本当に私は天くんのこういう物事の考え方というか人としての立ち方が大好き。ありがとうございました。

 

ここの環くんの「別にみんな俺なんか必要じゃない」とか「俺にだけ何もない」みたいな気持ち、まじで今の自分にぶっ刺さりすぎてキツかった…6部に入ってからずっと示されてきたことだけど自分の精神状態によってこうも受け取り方が変わるんだなと思ったし、環くんの気持ちに強く共感してる今の状態では到底「そんなことない」だとか「そんなふうに思わないで」とは言えなかった。難しいね。

 

他人の思いを察した。察せるようになった。それは間違いなく環くんの成長で、その能力は他者とのコミュニケーションを上手く回していくためにはすごく大切で素敵なことなんだけど、でも、察したことの全てが正解だとは限らないんだよ。

他人の気持ちは、その人にしか分からない。頭ではそう思えるんだけどなあ。

 

 

 

 

 

この時点では正直「ついに来たなアッシュ・ベイカー…ここからどう話を持っていくんだ…」て思ってた。そんなまさかダンスを極めることが正解じゃないなんてそんなこと考えもしないじゃん……

 

ずっとたった1人の肉親である理を探して、自分と一緒に生きてくれることを望んで、誰かに自分を見ていて欲しいと願っていた環くんが『ひとりで、生きていけるように』と言う。成長に違いないのにどうしてこんなに苦しいんだろう。

 

 

天くんはこうやって少しづつ自分の視野を広げて、ちゃんとその目で見たものを自分にも適応して考えられるのがほんとにすごいよなあ。これで18歳…(まだ言う)

 

 

環くんのこのままならなさというか、不甲斐なさというか、焦って大人と肩を並べたくなる気持ちまじでめちゃくちゃ分かるんだよな…ていうか世の中高生たちだいたいこんな感じなんじゃないの?知らんけど。こうやって焦って慌てて進む道を決めて行った人も多そう。

周りが先に進めば進むほど、自分だけが空っぽのような気がして、何も出来ない子供のような気がして、足元を駆り立てられるような心地になる。まだ生まれてたった16年。自分の人生を歩み始めてからはたった数年。それで確固たる何かを持ってるはずもない。その状態でその先60年以上の人生の基盤をそんな簡単に決められるはずもないのにね。

 

誰かが自分の道を進んでいることや幸せでいてくれることを素直に祝福したいのに、なんで俺はとか、寂しいとか妬ましいとか、そういう気持ちを持ってしまうことって誰にでもあるんじゃないかと思う。どっちも本当の気持ちなのに、相反するから苦しい。大切な人の幸せを手放しで祝えない自分はなんて醜いやつなのだろうと落胆する。みんなが一度は経験したことのある感情な気がする。

本当に人間の感情を解剖するのが上手いのよなぁ都志見文太……

 

 

IDOLiSH7になる前の環くんはたしかに自由で、無敵だったのだと思う。寂しいなんて思いもしなかった。そんな気持ち、知りもしなかった。けれどそれは同時に孤独でもあったんだと思う。

この話をするとき、環くんがどんなに過去の自分を羨んでも、あの頃の無敵な自分に戻りたいと願っても、決して「みんなに出会わなければ良かった」「IDOLiSH7になんてならなければ良かった」とは言わなかったのが、本当に嬉しくて。

昔の自分ならこんなに悩まなくても良かった。こんな思いしなくても良かった。それでも、みんなと出会って過ごした日々を、そこで得たものを、なかったことにはしたくないし、なければ良かったなんて嘘でも言えない。そう思ってくれているのかなって考えると、勝手にめちゃくちゃ嬉しくなった。

無敵モードに戻りたいけど、壮五さんの邪魔はしたくない。自由になりたいけど、誰かを縛り付けたいわけじゃない。不自由だけど、不幸じゃない。ただ、困っているだけ。どうしたらいいのか分からなくて。

いやぁ、しんどいな。そういうどうしようもなさがすごく分かってしまう。

 

寂しさから来る「無視すんな、誰のおかげで」とたた見返りを求めただけの「無視すんな、誰のおかげで」は全然違うんだよ。でもそれを伝えるのも、じゃあ実際に何が違うのかを説明するのも難しい。もどかしいなあ。

 

そしてそこに1部の環くんの優しさを持ってくる九条天よ…自分が実際にしたことをその相手に「優しくしてくれてありがとう」と言われるのなら、それはもう真実じゃん。誰がなんと言おうとあの日の環くんの言動は天くんにとって優しさであり有難いものだったんだよ。

本人がどんなに善意のつもりでも受け取り手によっては嫌味になってしまうように、本人にそのつもりがなくても受け取り手がそれは優しさだったというのならそれは紛うことなき善意の為した業なんだよ。それだけの事を環くんはあの日咄嗟にした。そんな子が嫌なやつなわけないんだよね。

 

にしてもこの、あの日があったから今日のこのやり取りがあるみたいな、当たり前なんだけど改めてそういうのを示されると懐古オタクは泣いてしまうね。

 

天くんは本当にその時その人が欲しい言葉を見分けるのがまじでめちゃくちゃ上手い……それって人のことをよく見てるからなんだろうなあ。人間への深い愛情がないとできないことだよね。

 

そんでタイトル回収の仕方が好き!!もう!!

大丈夫。天くんのその傘が、言葉たちが悲しい未来から環くんを守ってくれるよ。

 

 

 

 

 

絆とは何なのか。MEZZO”の間に絆はあるのか。形ないものの形を確かめようとするその行為は、きっとこの上なく難しい。途方もなく、頼れるものもない宝探し。

PVのナギの言葉はここだったのかと、何故か妙に納得した。

 

またかよという感じなんですけど、ここの壮五さんの『今、絆だと思っているものも、勘違いのような気がしてしまう』もこれまた共感の嵐でしんどくなっちゃったな…

絆だと思っている。その人との間には信頼関係があると思う。けれどそれらは、どれも確証のない希望的観測にすぎない。だからこそどこまで許されて、どこからが許されない事なのかが分からない。

その線引きを間違えて相手を傷つけてしまうくらいなら、相手の負担になってしまうくらいなら、もう何もしないほうが良いのかもしれない。そういう気持ちが、痛いほど分かってしまう。

 

なんか二次創作ではMEZZO”のいろいろに巻き込まれるのは大和さんが多いイメージだけど、実際にメインストーリーでMEZZO”のことを1番よく知って、支えてくれてるメンバーは実はナギなんじゃないかなぁと思ってみたりした。分かんないけど。

 

 

 

 

ŹOOĻくんたちも、相手を傷つけたくないからこそ踏み込めないという感情を知るようになったんだなあと思うとなんかめちゃくちゃ感慨深くなったね。興味が無いからじゃない、救いたいからこそ、幸せになって欲しいからこそ迂闊に手が出せない。この世で1番厄介だけど1番温かい愛情だよね。

 

宇都木士郎の真っ直ぐな言葉が好きだな、この人がŹOOĻのマネージャーになってくれて良かったなと思うのに、ふとした瞬間に中の人がチラついてさ…ほんと許せん。宇都木は悪くないのに。もうこればっかりはどうしようも無いので置いといて。

 

ただ「あなたの言うことならなんでも聞くよ」って言うんじゃなく「あなたがやりたいと望むのならできる限り実現の努力をします」と言えるの、まじでかっこいいよな。

彼らがやってるのはあくまでもビジネス。だけど自分のアイドルたちが幸せになれるのなら、そのためなら何度だって、誰にだって頭を下げる。誇張でもなんでもなく、本当にそれが出来るのがうちのマネズなんだよね。ほんとかっこいい。大好きだよ。いつもありがとう。

 

急に音楽止まって宇都木さんが核心ついてくるから息止まった。

そうなんだよ!!虎於はずっと周りのことばっかりなんだよね。彼の世界の中で自分はいつも圏外なんだもん。そんなの寂しい。虎於を主人公にできるのは虎於自身だけなのに。

ただそれも、虎於の意思ではなくてどちらかというと根付いてしまった気質なのがまた辛い。虎於は本当はこの中の誰より臆病なんだよね。

もうずっと自分を主人公に出来るなんて思いもしないでいるんだろう。何かを変えることは、1度否定されたことに再び挑戦することの怖さは分かる。だけどやっぱりそろそろ虎於にも真ん中に立って欲しいよ。

 

 

 

 

『ここに来る前に虹が見えたよ。環くんは見た?』『俺は見なかった。』このやりとり、最初に読んだ時は同じ世界に立っていても、同じ景色を見られる場所にいても、2人の見ているものは別々なんだなと思って苦しくなったりもしたんだけど、よく考えたらMEZZO”ってずっとこんな感じだったな。そういう2人がお互いに歩み寄って理解しようとして少しずつ変わって出来たのが今のMEZZO”だもんね。必ずしも2人が同じものを見ている必要は無いんだよね。そういう2人ではないからこそ紡げた絆があるんだよね。

 

今の環くんの選択は周りに追いつこうと焦って慌てた結果ではあるけど、この心持ち自体が悪い事だとは思えないのがまたしんどいんだよなあ。彼がダンスを好きでいることは誰よりも私たちがよく知ってる。それを極めたいと思うことを、何か夢中になれるものが欲しいというその気持ちを否定はしたくない。この先の人生を余生にもしてほしくない。だからこそ壮五さんも曖昧な返事をするしかなかったわけで。

 

ていうかさあ……自分の夢を語ることを「誰かへの嫌がらせかもしれない」「構って欲しいだけなんじゃないか」って思ってるのキツすぎるでしょ……しばらく天を仰いじゃったもんね。キッツ。

いやでも分かっちゃうんだよなその気持ちも。だからこそこんなにもしんどい。そんなわけないって思うのに、そういう風に思ってしまう環くんの気持ちも痛いほど分かる。

嗚呼アイドリッシュセブン

 

 

 

虎於の「目の前の人達は自分のことを笑わないって分かってる」「言えば解決するだけのことなのも分かってる」「でも怖くて言えない」の気持ち、まじでまじで共感しすぎて吐くかと思った。烏滸がましいけど、これまさに今の私と同じ状態なんですよね。

 

トウマの気持ちもめちゃくちゃ分かる。頼ってもらえないことが寂しくて不甲斐なくて、そういう思いもしたことある。だけど責め立てるような、勢いのあるトウマの言葉は少し怖くもあった。真っ直ぐすぎて、正論すぎて。それが狗丸トウマという人間であり、彼の良いところであるというのは十分理解しているけど。

だけど『あやすみたいな声が、頭から離れない。』と言った虎於に対する言葉はすごく柔らかくて、前後でトウマの言ってることは同じなのに、心への入り込み方が全然違った。

何が言いたいかって、言い方というか口調?ってすごく大事なんだなと思った。そしてそれを表現出来る声優さんってすごいなあとも。

 

みんなは自分を笑ったりしない、そんなことする人じゃないってことは自分が一番よく分かってる。それでも怖い。打開しなきゃ先へ進めないけど、打開する勇気も持てない。そんな自分がすごく滑稽に思えてくる。そういう人間のクソめんどくさいドロドロした側面をしっかり描いてくれる都志見文太およびアイドリッシュセブンマジで信頼しかないよ、、

 

虎於にめちゃくちゃ共感して彼が言葉に詰まりながら必死に壁をぶち壊そうとしてるのを頑張れ頑張れって見つめてて、あぁやっと進めたんだなと思った矢先の『馬鹿なことを言って、ごめんなさい。』ですよ……なんなのもう。なんなの?

その一言が重くて辛くてしんどくて、でも私の気持ちを代弁してくれてるような傍に寄り添っていてくれるようなその言葉に、私の抱えるこの気持ちを同じように抱えている人がいるという事実にボロボロ泣いてしまった。

 

これが更新された全2章のうちの1章目で良かったですよ本当に。こんなんで「次回配信に続く」されてたら私は間違いなく次の1ヶ月を虎於の事ばかり考えて、永遠にこの分かる人にしか分からない苦しさを抱えて過ごすことになっていた。危ない。

 

 

私は2部の大和さんのゴタゴタを、メインストーリーを読んだ当初本当に心の底から理解できなくて。なんでそんなことになるんだと思っていたし、なんなら少し大袈裟に描きすぎなんじゃないかとすら思ってた。だけどこれってよく考えれば今回の虎於も他の人から見ればそうなのかもしれないなあと思った。

結局見てきた世界が違うから、同じ局面に来ても取る行動や抱く感情が違うだけ。何が正解でもないし、その人にとってはそれがその人の生きる世界だし。

あの時わたしが大和さんの行動を理解できなかったように(今は少しだけわかるようになった気がする。それはたぶんこの5年間で二階堂大和という人間をさらに深く知ったから。)今回の虎於の言動を大袈裟に感じて理解できない人もいるんだろうなぁ、と思った。そしてそれを責めたりすることは出来ないなとも。

経験してない世界のことを理解するのはきっと誰にとってもすごく難しい。