たからばこ

好きなものを好きなだけ

ŹOOĻというアーティスト

 

 

REUNIONのダイジェストを見て、改めてあの夜の興奮を思い出す。

たった3曲、ほんの15分かそこらの時間で、ŹOOĻというアーティストに魅せられた。

 

あの場の、あの日のライブに参加していた者の一体何人があの光景を予想出来ただろう。

 

拮抗のクォーターというケアが施されていたとはいえ、あの頃の彼らはまだ明らかに "ヒール" で、TRIGGERを愛し、アイドリッシュセブンを愛していた私たちにとっては "敵" であったと思う。

 

ŹOOĻがしたことは本当に絶対、死んでも土下座しても許されない。

人ひとりどころか、3人分の人生を潰し、さらには彼らを取り巻いていたファンや仲間達までもを突き落とした。しかもとてつもなく身勝手な理由で。

彼らにもそう至るまでの理由があったというのは拮抗のクォーターで知ったことだけど、そんなのは言い訳にはならないと私は思う。

自分が苦しかったからといって、他者に苦しみを与えていい理由にはならない。

 

彼らのしたことは、人として最低だと今でも思う。

だけど、それでも彼らŹOOĻのことが嫌いかと問われればそれは違う。むしろ一番人間くさくて大好きだ。

アイドリッシュセブンのみんなも、そして現実世界に生きる私たちでさえも、ŹOOĻと同じ道を歩んでいた可能性は十二分にある。だからこそ嫌いになんてなれない。彼らは別の過去のIDOLiSH7であり、TRIGGERであり、Re:valeであるのだから。

ただ一歩間違えただけで、だけどその一歩が何より重いものだった。

 

それに、最初に歌を聞いた時から彼らのファンになることは薄々分かってた。

音楽を愛していないしファンも見えていない。メンバー間には絆もなく、ただ同じモノに対する恨み辛みだけで立っているのに、あれだけのパワーで歌える。それはすごいことだと思う。

そんな彼らが、自分たちやそのファンのために真摯に、本気でアイドルという職に向き合ったとき、きっととんでもないことが起きるんだろうと思った。

 

だけど、そんな "とんでもないこと" はあの世界では起こらないだろうと思っていた。

恨みや辛みは、一時の爆発的なエネルギーに過ぎない。時間が経てば拗らせるか消えるだけだし、どんどん虚しくなるだけ。そんな一時の感情で危うく成り立っているŹOOĻに先はないと思っていた。

 

なのに、REUNIONでその "とんでもないこと" を見せつけられた。

 

後付けのようにŹOOĻの出演が決まった日、マネージャーはみんな、かなり困惑していたと思う。少なからず非難の声も見えた。私も複雑な気持ちだった。

彼らの音楽は好きだし、彼ら個人のことも(拮抗のクォーターを知っていたから)かなり好きだった。

でも、彼らがTRIGGERやその他大勢に向けてしたことも含めて考えた時、ŹOOĻがみんなと共にステージに立つことを認められるのかと言われればそれはまた別の話だ。

今がどんなに良い関係でも、当事者同士が和解していても、とてもじゃないけど納得できない。やったことも犯した罪も一生消えない。それだけの事を彼らはやっている。

 

アイドリッシュセブンの運営には多大なる信頼を寄せていたけど、この時ばかりは何を考えているんだ、と思った。不信感すら抱いた。


しかし、誰からも歓声が上がらず、真っ暗な海の中で歌う。あまつさえ、ブーイングが起こる。そんな惨事が予想された中で、ŹOOĻはそれらを全て裏切った。彼らは自分たちのその実力で、あの場を湧かせた。
あんなに凶器的な力をぶつけられて黙って座ってるなんてできるはずない。ŹOOĻの持つパワーに、あの会場にいた人たち、そしてライブビューイングを見ていた者たち、さらには今ダイジェストを見ているこの瞬間の私たちの心が突き動かされた。


それは奇跡に似ていて、まるで違うものだと思う。奇跡だなんて稀有なものではなく、あれは確かに彼らŹOOĻが創り出した光景だった。彼らの本気のパフォーマンスで約束された景色だった。

 

あの夜の、あの瞬間の高揚を私は一生忘れられない。

 

今になってみれば、何を勘違いしていたのだろうと思う。IDOLiSH7もTRIGGERもRe:valeもŹOOĻも、みんなあの場には「アイドル」として立っていたのだ。

あの煌びやかな衣装を纏った時、彼らはもう個々人ではなくなる。したこと、されたこと、それまでの背景の一切を置いて、ステージに上がってくる。

そこに、本来ならファンである私たちが知る由もなかったはずの裏側の話を持ち掛けるのはなんて不誠実だろう。

 

TRIGGERとの和解を経て、ŹOOĻが新たに達した新境地。その成長ぶりを私たちはただ黙って感じていれば良かった。時に表面しか知らない者としての見方も大切なんだと感じた。

 

たとえ裏側を知っていたとしても、彼らを忌み嫌っていたとしても、まるで抗えるようなパワーではなかったけれど。

 

ŹOOĻに好意的ではなかった人達さえも立ち上がらせて、その手に治安の悪いカラーのペンライトを握らせていく。

あれもある意味での訴求力であったと思う。あまりに暴力的な、思わず体を動かして声を張り上げたくなるようなパワーが、あの夜のŹOOĻのパフォーマンスにはあった。

 

そしてそれは、演者さんたちが、どんな非難の中でも自分たちŹOOĻのカラーを曲げないという強い意志を持っていてくれたからだと思う。

 

初めは確かに恨み辛みで繋がった危うい関係であったかもしれない。だけど今の彼らはもう違う。

自分たちの犯した罪を知り、その業を一生背負っていく覚悟がある。それは罪を犯した者としての当然の罰だということを、彼らは他の誰より真摯に受け止めている。

誰に反発されようと、嫌われようと、それは自分たちの撒いた種だ。

そんな強い覚悟を胸に、それでも逃げないで音楽に、アイドルという職に、ファンに向き合い続けると決めたŹOOĻがかっこよくないはずがない。そんな人達に心動かされないわけがない。

 

あの日、ŹOOĻに見せられた景色を、あの気持ちを、私は一生忘れられない。

私がŹOOĻというアーティストに魅せられた瞬間だった。