たからばこ

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MILGRAM ーミルグラムー 第1審 シドウ 考察

 

 

DECO*27×山中拓也×OTOIROによる視聴者参加型楽曲プロジェクト「MILGRAM ーミルグラムー」

 

今回は囚人番号005番・桐崎 獅童について考察する

 

ー目次ー

 

基本情報

 

29歳 / 男 / 180cm / A型

10月24日生 / さそり座

 

長身で柔和な表情。冷静で落ち着き払っており、大抵のことでは動じない。看守を子供扱いしている節がある。自身が囚われている状況には納得していて、自ら極刑を望んでいる。

 

 

 

スローダウン MVより

 

白衣を着て患者と向き合っている姿から、医者(少なくとも医療関係者)であったことはほぼ確定。

 

MV中に大量に出てくる花を人の比喩と考え、様々な種類の花を切り取ってひとつの物体(ベットの上にある人型)に接いでいることから、脳死と診断された患者の家族に臓器提供を提案し、提供された臓器の幾つかを植物状態の人に移植していたのではないかと考えた。

 

脳死はたしかに(法律上も)死だけど、心臓はまだ動いていて、体も温かく、まるで死んでいるとは思えない。しかし臓器移植の際にはその心臓を停めなければいけない。

論理上ではなく、感情的な問題として、やはり脳死状態は死んでいるとは思えないし、"心臓が動いている" ことを生の定義と考えるなら、動いている心臓を止めてしまうので、人殺しと言えなくもない。

 

もちろん法的な罪には問われないが、ミルグラムには広義のヒトゴロシが集められているので、可能性は十二分にある。

 

そしてこの移植と思われる(花を切り取って別の物体に接ぐ)作業の際、シドウが白衣ではなく私服姿でいることから、医療行為ではなく、実験やプライベートに関連するような私的なものであると推測する。

 

植物状態になってしまった大切な人を救いたい、もしくは、内蔵等の傷みが酷く、ほとんど回復の見込みのない植物状態の人間を回復させることで自分の医師としての地位と名声を獲得したいという目的のもと、倫理に反する、私用での移植手術を行ったが、結局そのレシピエントは死んでしまった。

一度起き上がってから崩れ落ちているので、一瞬だけ回復の兆しはあったのかも。でも最後には崩れてるから、レシピエントも死んだのは間違いないかな。

それによって、後悔や罪悪感、もしくは自分の医師生命は終わった(多大な犠牲(幾つもの花)を払っても功績を上げられなかったから)と感じているので、極刑を望んでいるのではないか。

 

ここからは歌詞を詳しく考察してみる。

 

歌詞考察

 

・「NO 夢の中で」〜「責められている」

ここで責められているのはシドウ、シドウを責めているのは患者の家族だと思う。

脳死と言われ、受け入れられなくて医者に八つ当たりする人は一定数いるだろうし。

 

・「NO 殺した迷いが」〜「嘘を嗅いでいる」

「殺した迷い」というのは、私的な目的のために、下心を持って患者家族に臓器移植を勧めることに対しての迷い?

本当は自分のために使うのに、「提供された臓器は、困っている人の助けになります」という "嘘" を吐くことへの迷いや罪悪感が現れている歌詞なのかな。

可能性としてはかなり低いと思うんだけど、そもそも「脳死」という判定自体が嘘だったりする…?まだ植物状態の人を脳死判定して、臓器提供を勧めてたとか。だとしたらかなり重罪だよ。

でも脳死判定っていくら優秀な医者でも一人でやるものじゃないから、これはあんまり現実的じゃない気がする。ほかにシドウに協力者がいたなら話は別だけど、特にそれらしい描写はなかったし。

 

・「トクトク言うの」〜「止まったって消えないさ」

トクトクは拍動のことだと考える。

脳死では心臓は止まっていないので、脈に触れれば拍動を感じる、生きているということを主張しているように感じられることから「トクトク言うの、ここにいたっていい理由を」。

そういう患者家族の訴え、もしくは患者に触れてシドウが感じたことに対して「(心臓が)止まったって(貴方がここにいたという事実は)消えないさ」というシドウの返しなのではないか。

 

・「散々泣いちゃって」〜「その生き方を」

泣いているのは患者家族。「一度きりのその生き方」とは、脳死後の命の使い方。つまり臓器提供をするか否かのこと。

 

・「誰かの誰かに」〜「希望に置き換えて」

まだ動いている心臓を止め、身体を切り裂いてしまう臓器提供を、まるで他者へ命を繋ぐ希望かのように騙して示している事を指す歌詞ではないか。

 

・「もういいよ」〜「だから終わりが欲しいよ」

どうしたって(患者家族の泣き声や自分を糾弾する声が)離れない。そこに対する罪悪感など捨てたはずなのに、やはりどうしても消えない。だから終わりがほしいということ?

ハルカのボイスドラマの内容から、曲の中では嘘は吐けないということだったので、この「赦さないでくれ」「終わりがほしい」という言葉は「こう言って、反省しているフリをしておけば赦してもらえるかも」という計算から出たものではない。

しかし、花を接がれていた人型をシドウの大切な人と捉えた場合、死ねばその人と再び出逢えるかもしれないという気持ちからの「赦さないでくれ」という可能性はある。

 

・「刺した言葉」〜「与えるために奪う気持ちは」

患者家族に対して言った「貴方の大切な人はもう二度と目を覚ますことはない」という言葉が、永いこと植物状態にある人型を見ている自分にも刺さっている。

そして次は、その人型が与える側(ドナー)になるのかもしれないという思いから、今までの自分の行動を振り返り「どんな感じだっけ」と問い掛けている。

 

・「どんどん薄まって」〜「そう言い方で」

人型が再び目を覚ますかもしれないという希望がどんどん薄まって、少しずつ投げやりになっている?「興味ない」とか「無駄」とか、ちょっと強くて雑な言い方。

もしくは、利己的なことのために臓器移植を勧めることに対する罪悪感がどんどん薄まってる。

この歌詞の一場面前に出てきた夫婦は臓器移植を拒否したことで、「不要(臓器移植する意思がない)なら 興味ない」。

臓器提供の意味も、脳死状態の人間を生かす意味も、あるとかないとか結局言い方次第だよね。臓器移植したからって必ずしもレシピエントが助かるわけではないし、脳死状態の人間を生かしてるのはもう二度と目覚めない人に無駄にお金がかかけてるだけって考えもある。

 

・「誰かは誰かと」〜「絶望を刺死込んで」

「刺死込んで」の字面怖すぎる…。この字から見るに、本当は脳死じゃない人を脳死と偽ってた可能性少し上がったかな。事実としての脳死を宣告したことを絶望と表すだけならわざわざこんな字は使わないだろうし。でも本来なら助かる見込みがある人を脳死(絶対的に助からない)とするのはある意味では死という嘘の絶望を与えてる(刺死込んでいる)ことになる。

これ私が言いたいこと伝わってるかな?日本語難しいね

 

・「絶対正しいことが」〜「救われるんだね」

「始まる終わり」は他人(ドナー)の終わり(死)で(レシピエントの新たな日々が)始まるということ。

だから救われるのはレシピエントの家族。

 

・「さあゆっくり目を閉じて」〜「怖くない気がした」

これは最初の頃のシドウの気持ちの可能性が高い。

後悔すらも綺麗な装飾にして、誰か(人型)のためのあなた(患者)を願おうという気持ちで始めた。どんな人を相手にしても、変わらない表情で臓器提供を勧められる。だって、勧められる側の気持ちなんて "分からなかった" 、想像もしなかったから。

だけど今は、人型の回復があまりにも見られないから、そのうちこの人型が臓器を提供する側になるのではないかという気持ちがあるので、臓器提供を勧められる側の気持ちを考えてしまって、勧めることに抵抗が強くなってきている。

 

・「倫理など妄想だ」〜「どこかへ逝けるかな」

まぁ倫理観があれば私目的で臓器提供を勧めたりはしないよね。「朝が来ても罪のまま」って言葉からはやっぱり後悔や罪悪感が見て取れるな。そしてこの現実から逃げ出したいみたい。

ここで割れてるガラスみたいなのは何だろう。ちょっと分かんなかったです。分かる人いたら教えてください…。

あとここのシドウ、ダブルベットで寝てるんだね。しかも枕ふたつある。これは人型がシドウの大切な人、恋人とかの可能性が高まったかな。

 

・「誰かの誰かに」〜「だから終わりが欲しいよ」

歌詞考察ではないけど、ここの人型が動いてから再び倒れるまでのシドウの表情、実験成功、自分の医者としての実績は確実に伸びると思って喜んだら被験者が死んでしまって絶望しているようにも見えるし、大切な人が息を吹き返したと思ったら死んで悲しんでいるようにも見える。どっちか分かんないな〜…。

 

歌詞考察まとめ

 

歌詞からはかなり後悔している様子だけど、患者家族と話す時の色彩の薄さとか、家族に背を向けてからの無表情さが少し気になる。

やはり彼にとって患者はドナー、仕事場も臓器をもらえる場所でしかなかったのかな。

人型を前にして臓器を接いでいる時はめちゃくちゃしっかり色付いてるもんな。すごくカラフル。だからこそ余計に病院でのモノクロ感が目立った。

 

 

 

尋問内容より

 

Twitterでの公開分しか見てません

 

・なんでも相談できる相手は "いなくなった"

・愛のためなら全てを犠牲にしても良い

・自分が死んで残るものは "もうない"

・死よりも辛いことは、愛する者が死ぬこと

・恋人は健康でいてくれればいい

・Q.もしひとり生き返らせるなら誰? A.選べない

・幸せの定義とは、変わらない明日が約束されていること

・輪廻の考えが好き。そうあって欲しいと思う。

・不健康になりたくてタバコを吸っている

 

シドウの恋人、愛した人があの人型という説でほぼ間違いない。恋人は死んでるみたいだし、健康でもなかったみたいだから。

愛のために他者の命、臓器を犠牲にして彼女を何とか救おうとしていたんじゃないかな。

 

そして、彼女を追って死にたくて「赦さないでくれ」と言ってる可能性がかなり高い。反省してる気持ちも多少はあるだろうけど。

全く反省してないなら、誰か人を生き返らせると聞いた時、即座に彼女の名を挙げていたと思うので。そうではないということは、自分の私的な目的のために犠牲にした人たちへの懺悔もあるんだろうな。

 

 

 

ボイスドラマ Molech より

 

「利己的な理由で、大量に人を殺している」という言葉から、脳死を偽装した説の可能性が少し上がったかなと思う。

 

"どこからを死とするか" ってのは非常に難しい問題で、先のMV考察にも書いたけど、シドウが "心臓が動いている" ことを生の定義と思っているなら、臓器移植のために心臓を止めたことを "殺した" と言っていても不思議ではない。だけど、エスの「痛みを感じるのは、お前の身体が生きたいと願っている証拠だ」という言葉にとても論理的に、冷酷に返していたところから見ると、シドウはかなり現実主義者だと思う。

そんな彼が自ら "人を殺した" というのなら、法的に人を殺した(脳死を偽装し、本当は死んでいない人を死んだと判断した)のかなと考える。

 

後悔や懺悔の気持ちから、脳死状態の人の心臓を止めたことをヒトゴロシと思って悔いているっていうのも考えられなくはないけどね。

人間、一貫して現実主義的でいたり感情的でいたりはなかなか出来ないから。その辺の基準は揺れて当たり前。都合の良い方、自分の気持ちが楽な方に寄せて考えるに決まってる。

シドウは自分の為したことについて、本心から罰を望んでる(嘘が吐けない楽曲中に「赦さないでくれ」と言っている)ので、自分を責めるために、その方がずっと楽だから、自らをヒトゴロシ呼ばわりしてる可能性はある。

 

やっぱりエスが決められるのは赦すか赦さないかだけなんですね。その後の刑については "知らない" と。

これはエスの言う通り、罪に対しての赦すか否かを問うてるからなんだろうな。その後の刑が何かによって決めるものでは無いということかな。

 

シドウは、エスの感情論的な考え方を真っ向から論破し否定しつつ、"素敵な考え方" "嬉しい" と言ってる。そして、そんなエスに赦さないと言われたいとも。

シドウは本当に自分のした事を悔いていて、残虐な罰を望んでる。法律的に、論理的に裁かれたいのではなく、感情的に、人間的な思考で裁いて欲しいのだと思う。

それは恐らく、シドウが利己的な臓器移植を繰り返したことで失った考え方だから。そして、その考え方を失う前の自分なら、今の自分を決して赦さないと思うから。

 

これを考えるとやっぱり脳死になった人の臓器を私目的に流用してたのかな。論理的に考えるのなら、脳死の人から臓器を持ち出すことは罪ではないから。だけど、感情論でいえばそれは罪だという人もいるだろう。

ボイストレーラーから見るに、彼の大切な人(花を接がれていた人型)が植物状態から脳死へと移り、そこでようやく自分が今までいかに残酷なこと(脳死状態の患者の臓器提供(到底死んでいるとは思えない様子の人間の動いている心臓を止め、その身体を切り裂いてしまうこと))を勧めていたいたかを自覚したのだと思う。

そこで彼の中の感情的な面が顔を出した。それまでは論理的に、脳死はもう死んだ状態なのだから、臓器摘出をしたって問題ないと自分に言い聞かせていたのに、いざ自分の身内がドナー側に立つと、まるで死んでいるとは思えない。まだ死んでない。こんな人から臓器を取り出すなんて人殺しだと思ってしまった。

たくさんの移植手術をしていた自分はヒトゴロシだったんだと思った。法には触れないが、たしかに罪を犯してしまった。だから論理に縛られない裁きを受けたいのだろう。

 

 

 

まとめ

 

脳死状態の患者の家族に積極的に臓器移植を勧めていた

・そして提供された臓器の幾つかを私目的に流用してた

・提供された臓器を使って助けようとしていたのはシドウの愛する人

・法的な罪には問われないが、臓器移植のために、脳死状態の人の心臓を止めたという意味で人殺しと判断され、ミルグラムに来たのではないか

・シドウ自身、自分の罪にかなり苛まれている

・後悔の気持ちも、罪悪感も十分ある

・ただ「赦さないでくれ」という言葉は、純粋に罪を償いたいという気持ちだけから出たものではなく、死んでしまった愛しい人の元へ逝きたいという気持ちも含まれていると思う

 

シドウからはかなり考えさせられることがありましたね。なかなかに難しい問題だなと。

ただ、ここで問題になってくるのが提供された臓器を "利己的に" 使っていたということ。これは、医療従事者として、脳死の判定や臓器移植手術を行う権限を持つ者として、絶対にやってはいけないことだと思うので、第1審では赦さないと判断します。

医者という資格を有し、医療従事者として働いているのなら、その力を私的に行使することなどあってはならない。本来、国家資格というものはそうであるはずなので。

 

他の方の考察や判断を見て思ったことを少し。

シドウは罪を赦されないことを救いとし、罰を受けることで罪悪感から解放されたがっているというのは間違いないと思う。だけど、それを理由に「赦して償わせる」という判断をすることは間違ってるんじゃないかなと。

赦すことでどうなるのか、赦さないことでどんな罪が待っているのかが今の状況では分かっていないというのももちろんだし、そもそもミルグラムでは "罪に対して" 赦せるか否かを問われている。

「シドウにはずっと罪悪感に縛られながら生きて償って欲しいから赦す」という気持ちはすごくわかるけど、本末転倒に感じた。みなさん、シドウの罪に対してはどう思ってるんだろう。とても気になる。

 

 

 

 

思うことが多すぎて、とても長い記事になりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!

また何か気づいたことがあれば追記していきたいと思います。

 

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