たからばこ

好きなものを好きなだけ

MILGRAM ーミルグラムー 第1審 ハルカ 考察

 

 

DECO*27×山中拓也×OTOIROによる視聴者参加型楽曲プロジェクト「MILGRAM ーミルグラムー」

 

今回は囚人番号001番・櫻井 遥について考察する

 

ー目次ー

 

基本情報

 

17歳 / 男 / 身長174cm / AB型

6月22日生 / かに座

 

常に伏し目がちの物静かな青年。本来の基質は優しくおとなしい。ミルグラムの環境に不満な様子はない。コミュニケーションは取ってくれるが、どこかズレていて噛み合わない。

 

 

 

弱肉共食 MVより

 

歌詞に異様に平仮名が多いこと、MV内の独特な色彩から、広義の精神障害者ではないかと考える。

「だれでもできること ぼくにもできたらな」「どれくらい続けたら ぼくもヒトになれる?」という言葉からも、自分は周りと同じ "ふつうのヒト" ではない、「ハズレ」だという気持ちを感じるので、この可能性はかなり高いんじゃないかな。

 

3度出てくる殺害シーンの内、最初の2度はその後ベットの上で目覚めていることから、夢であると思われる。最後の絞殺だけが現実かな。

 

幼い頃は自分に向けられていた母親の愛情が、弟が生まれたことで全て弟に向くようになり、妬ましく思って弟を殺害?

MVに出てくる女の子も犬も、弟にばかり恋をして懐いて…って感じだったのかな。

弟がいなくなれば、弟に向かっていた愛が自分へ向くかと思ったが、そうではなかったから「間ちがっていたのはぼくだった」。

 

小さい子が幼い頃のハルカ説もあるけど、私はそれは可能性として低いと思ってる。

ミルグラムは、人の赦せる赦せないのボーダーを問い掛けるコンテンツだと思うので、そんな大多数が赦すとしそうな「過去の自分を殺す」なんて罪でわざわざ囚人にしたりはしないんじゃないかな。

私たち視聴者を撹乱するためだとしたら有り得なくはないけど。

 

歌詞の「スタート位置がちがうまま始まった」からも、元の出来が違う誰かと比べていることはほぼ間違いないと思う。「ぎせい」っていうのも、誰かその上に立つ人間がいなきゃ成り立たないし、「くずされ」るってのも受け身だから、相手は同軸に存在する。

だけど出てきている男の子は明らかにハルカより幼いので、弟説を推したいですね。

 

そして何度か曲を聴いていて感じたのは「愛される弱者になりたかった」という言葉は、2通りの意味に取れるのではないかということ。

1つ目は「 "愛される" 弱者になりたかった」。これは、ハルカ自身が社会的弱者(幼子,障害者などを指す)であり、それ故に愛されていなかった(後に生まれた健常な弟に愛を奪われた)のではないかという考えに基づく解釈。

2つ目は「 "愛される弱者" になりたかった」。これは前述とは真逆で、弟のほうが社会的弱者であり、それによって母親はハルカを放って弟にばかり構うようになったという考え方。弟を見ていたことでハルカの中で「弱者であれば愛される。自分はそうでなかったから愛されなかった」という考えができての言葉だとしたら?

女の子も、弱者である弟を守ろうとして常にそばにいたとか。その子はハルカの片思いの相手で、弟が生まれるまではハルカと仲良くしていた→「(弟が生まれなければ)ちがっていたハズの未来は 不平等に(女の子は弟に)こいをした」

 

2つ目の場合、ハルカが弟になりすまして、というか弟の真似をして(そうすれば愛されると思って)、たくさん平仮名を使っている可能性もあるのかな…とかね。

サビの前半は全部しっかり漢字になってるのも気になってはいるんだよね。たまたまかもしれないから何とも言えないけど。

 

弟は精神障害者ではなく、幼子という意味での社会的弱者であった可能性もある。MV内の子供の落書きのような絵、お絵かき帳や積み木のある部屋も、幼子の弟のものであるとも取れる。

曲名に「共食」って入ってるからなぁ…ハルカは精神障害者としての弱肉、弟は幼子としての弱肉で、互いに母の愛を喰らい合い、弟に取られたとか?

 

 

 

尋問内容より

 

Twitterでの公開分しか見てません

 

・恋愛に関して非常に疎い

・質問の内容などはきちんと理解しているし、受け答えもしっかりしている

・願いは「愛されたい」

・将来の夢「ふつうに生きたい」

 

これ見てると、やっぱりハルカは健常で弟が弱者であった可能性の方が高いんじゃないかなと思う。

ハルカが弱者であったが故に愛されなかったというのがミスリードなのでは?

 

MVではあんなに平仮名ばかりの歌詞や独特な世界観で、精神病や知的障害が疑われる様子なのに、尋問では問いの意味をしっかり理解して、道理の通った返答ができるのは違和感がある。精神障害があってもこんなにちゃんと会話できるものなの…?

この辺の専門的なことは詳しくは分かんない。

見当違いなこと言ってたら申し訳ない。あくまでもwebで得た緩い知識に基づく私の主観による考えです。

 

その場合、もしかすると弟になりすましてるんじゃなくて、そもそも弟が生まれ、母親の愛情が弟の方へ大きく傾いて、ハルカを虐待して学校に通わせないようにしていたのかも。それなら平仮名ばかりなのも納得はいくし、MVの「ぼくに気づいて」「だれか気づいてよ」っていうのは家では自分の存在を無視され、外にも出してもらえないために誰も自分を知らないということにも掛かってると考えられる。

「ふつうに生きたい」というのは、虐待をされずにってことかな?

 

弱者であったのが弟だとしてもハルカだとしても、ハルカは弟の登場によって次第に母親から愛を向けられなくなって、その事で弟を疎ましく思って殺害したというのは間違いないと思う。現時点ではね。

 

 

 

ボイスドラマ 弱者の蠕動 より

 

親からの虐待はほぼ間違いなく確定だと思う。カズイとシドウを "大人だから" 怖いって言ってるし。自分の年齢が曖昧なのも、誕生日を祝われてこなかったからかな。

「看守さんたち "も" 最後には見捨てる」って言葉も、以前誰かに見捨てられたからこそ生まれるものだと思うから、産まれた時から虐待を受けていたわけではなく、ある程度物心ついてから見捨てられたって考えるのが妥当。

見捨てるっていう行為は、それ以前の愛情、「見捨てられていない状況」がないと生まれないと思うので。

 

アマネに対して「あの年頃の子供が苦手」って言ってるのは、弟に親の愛を奪われ、自分の居場所を取られたと思ってるから?

MVに出てきてる男の子を幸せな頃の、過去のハルカだと考えると、そんな回答にはならないはずだからやっぱりあの男の子は弟って説が濃厚だと思う。

 

でもエスが手を上げた時には「痛い、何するんですか」と言うだけで、めちゃくちゃ怯えてるとかっていう感じではなかったから、母親からの身体的虐待はなかったと見える。本当にただただ放置されてたのかな。無関心でいる、学校に通わせない、家に幽閉するって感じの虐待の仕方だった可能性が高い。

親から長らく関心を持たれなかったから、エスが自分に(仕事だとしても)興味を寄せて、話を聞いてくれるのが嬉しかったんだろうな。

 

「生まれつき人を不幸にすることが得意」「僕がただ普通にしてるだけでダメにしてしまう」「僕なんか」っていうのは親から日常的に浴びせられていた言葉によって、自分の存在が人を不幸にする、自分はダメな人間だと刷り込まれてしまったんだと思う。

虐待されたのは弟が生まれてからなはずなのに、「生まれつき」って言ってる矛盾はそこにあるのかな。

 

「僕のことを知ったら、見捨てるに決まってる」っていうのは「僕が障害者であることを知ったら」なのか「僕が人を不幸にしてしまう、ふつうのヒトになりきれないダメな人間だと知ったら」なのかはこの時点では定かじゃないな。

エスから「ここにいる囚人たちは全員ダメ人間だ」と聞いて安心したように見えたのは、親からお前はダメ人間だ、だから人と関わってはダメだと言われてきたから?

みんな自分と同じレッテルを貼られてるなら気兼ねしなくて済むもんね。お互い様だって言える。

 

ミルグラムHPで聞けるボイスでは、人殺しについて「申し訳ないなと思っている」とは言うけど声色から後悔の念などはあまり感じられない。

これは反省の色がないとも取れるけど、発達障害を伴う知的障害なら他人の痛みを感じとることが難しいという特性ゆえとも思える。

これはどっちかでかなり印象が変わってくるな。

 

弟への罪悪感より、弟を殺してもなお母親の愛情を取り戻せなかったことに関しての落胆の気持ちの方が勝ってる感じもする。

 

 

 

まとめ

 

・ハルカは精神障害者、弟は幼子として、それぞれ社会的弱者であり、母親の愛情を取り合って「共食い」した(ハルカは母親の愛情を受けられず、弟はハルカに殺された)

・弟が生まれたことで、ハルカは親から虐待を受けるようになり、学校にも満足に通わせてもらえていなかった

・ハルカは精神障害者ではなく、虐待により精神(知能)遅滞のある健常者である可能性もアリ

 

ハルカが精神障害者であったか否かに関わらず、これは悪いのは愛情を傾けた親だと思うので、第1審ではハルカの罪は赦せると判断。

 

 

 

 

また何か気づいたことがあれば追記していきたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

ミルグラム 考察記事まとめはこちらから

 

 

MILGRAM ーミルグラムー 第1審 エス 考察

 

 

DECO*27×山中拓也×OTOIROによる視聴者参加型楽曲プロジェクト「MILGRAM ーミルグラムー」

 

今回は監獄・ミルグラムの看守であり、私たち視聴者の写しでもあるエスについて考察する

 

ー目次ー

 

アンダーカバー MVより

 

おそらく彼も囚人だと思う。正確には、最終的にその立場に立つと言った方が良いかな。

自分(エスや私たち)が「赦さない」という判断を下したことによってその囚人が殺され(もしくは残虐な行為の犠牲となり)、それに対して罪に問われるのでは?

 

ミルグラムという言葉の元であると考えられるミルグラム実験で検証された「一般市民でも一定の状況下であれば残虐な判断を下すのか」という命題の"一般市民"の部分に囚人達は当てはまり、そしてそれは私たち(エス)にも言えるのではないか。

つまり、看守と囚人は時を経て立場を変え、同じ状況に立ち同じような選択を求められている。

囚人を赦さないということは、すなわちその判断を下した自分自身をも赦さないということである。

文字に起こすとややこしいな。

囚人たちがそれぞれの価値観の中でしっかりとした理由のもとに行なった殺人を、自分の価値観で赦さないとしたお前のその判断は赦されるものなのか?ということですね。分かりにくい。

 

脚本の山中拓也さんから「もし囚人が全員赦されたらその時は地獄を見せます」みたいなコメントがあったらしいから、この可能性はそれなりに高いんじゃないかな。

この「全員赦されたら」というのはたぶん、「視聴者が自分の考えに基づいてではなく、先の展開を予測してのジャッジをしたら」という意味だと思う。

あくまで貴方から囚人に対しての赦す、赦さないの判断を聞いてるんだよということね。知らんけど。

歌詞には「赦すなら共犯者」とあるから、赦すことによって自分もその囚人と同等の人殺しの罪になるとも取れる、っていう考えも少しあったけど、この歌詞は一応ハルカパートのものなんだよね。

そこが全体に適応されるか否かは微妙なので、赦さない(囚人へ罰を与える)ことがエスの罪だという説を推したい。

エス=私たち(視聴者)ということなので、彼自身がミルグラムへ来る前に何かしらの罪を犯したというのは少し考えにくい。

ミルグラムへ来る前の記憶なくしてるらしいし、可能性として無くはないけど、限りなくゼロに近いかな。

 

どちらにしても、エス自身も最終的に何かしらの罪に問われ、囚人として裁きを受けることは免れないと思う。

 

MVでエスが持っていて000と書かれた罪の内容が仕舞ってある(上映のためのカセット?)と思われる箱から他10人の囚人たちの罪を見れたのも、彼も何らかの罪を背負うことになると考える大きい根拠になる。

 

ここは追々、というか最後の方に判明しそうだな。

そしてジャッジをするのにさして影響はない。というか影響させてはならないのだと思う。

あくまでその囚人の罪に対してどう思うかを問われているので。

 

 

 

ボイスドラマ ESより

 

ここから下は、考察というか覚え書きです。

 

まずそもそもなんでESなんだろ?って思った。

だって普通、エスならSか、せめてESUでしょ。後者めちゃくちゃダサいけど。

 

ひとつ考えたのは、複数形のーesかな?ってこと。それならs単体でも良い気はするけど。

囚人 "たち" という意味での複数形ーesなのかな。それとも様々な罪、動機の形という意味かな。どれだろう。

 

あと、コトバンクでESって調べてみたら『エンベデッドシステムスペシャリスト試験』っていうのが出てきて、この試験の内容を要約すると『システムの設計・製造を主導する能力を備えているか否かを認定する試験』であるとのこと。これはエスミルグラムについて全てを決められる(設計できる)立場にあることとリンクしてるのかなと思った。

すなわちこのESにも意味があるみたいってだけなんだけどね。今後には特に影響しないと思う。

 

エス「頭に霧がかかってるみたいだ」に対してジャッカロープ「いつもそう」。この「いつも」とは、エスが毎日そうなのか、看守は毎回そう言う、という意味なのか。

エスに対して「 "今回の" 看守さんはウブだな」という発言、カズイに関して「 "今回の" 最年長」という言葉から、ミルグラムでは以前から同じようなことを繰り返していると考えてほぼ間違いない。

その度に看守が変わっているのか、その度にエスが記憶を失ってしまうのかは定かではないが、エスが記憶を失っている場合、毎回人格まで変わっているようである。(ウブというのは人の内面に関わるものであるため、記憶を失った程度で変わるものではないと思う。記憶を失うと共に人格、性格もリセットされる?)

 

エスにはミルグラムの全てを任されている。→裁判後の囚人の処置も決められる?

もしそうだとしたら赦さない=殺す、赦す=釈放とも限らなくなってくるな。

そしてこの、看守としての義務をエスは記憶を失った状態でも強く感じているらしい。

これはミルグラム実験の「途中で放棄させないような声掛け」に相当するのかな。大丈夫、お前のやっていることは正しい、そのまま続けろという言葉の代わりの義務感?

 

エスとジャッカロープの部屋には互いに行き来できない。これ意外と重要なんじゃ?となんとなく思ってる。なんとなくね。理由はない。

 

謎の11時の位置にある部屋も気になるよな。

これはエスが裁きを受ける時のための部屋かなと思うけど。

 

あと囚人同士なら揉め事が可能な様子。これはちょっと怖いな…第三審を待たずに死ぬ人が出てきたりはしませんように…

全員しっかり3回分見届けたいですね。

 

 

 

まとめ

 

エスも最終的に囚人となり裁きを受けるのではないか→その理由が「赦すなら共犯者」という思想に基づくものなのか、「赦さないという判断を下したこと」についてなのかは分からない

ミルグラムはずっと前から同じことを繰り返しているのではないか→その際の看守が度々変わっているのか、エスが記憶をリセットされて何度も看守をしているのかは定かではない

エスには監獄の全てを一任されている

・そしてその義務を彼は強く感じている

エスとジャッカロープは互いの部屋を行き来することはできない

・囚人は管理者へは攻撃できないが、囚人同士であれば可能

 

 

 

 

また何か気づいたことがあれば追記していきたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

ミルグラム 考察記事まとめはこちらから

 

 

アイドリッシュセブン イベントストーリー ダンス・マカブル

 

 

ダンマカめちゃくちゃしんどかった…

まさかアイナナ初の記事がメインストではなくイベストになるとは思わなかった

でもそのくらい、濃度のあるお話だったなと思います。いろんなことを考えさせられた

 

感情のままに書いていくのでかなりぐちゃぐちゃになりそうだけど、とりあえずこの気持ちを吐き出す場所が要る

 

 

そもそもアイドリッシュセブンは本当にアイドル育成ゲームですか??こんな鬼畜シナリオあります??推しがどんどん死んでいくよね冗談抜きで。

あと暴力表現がすごい。これはR15です。血に弱い人、ほんとに見ちゃダメ。

下手したらトラウマ植え付けられるよ…

 

 

個人的にはフーガの苦しみ方、報われなさがあまりにもキツかった

 

戦ばかりの荒野に生まれ、育ったフーガにとってリーベルはまさにヒーローだったんだと思う。強くて、真っ直ぐで、自分たち仲間をとても大切にしてくれて。 

そして、そんな彼にとって自分がその他大勢ではない、特別な存在であるという自負もあった

 

だけど、そんな大好きで、俺の事を目にかけてくれていたリーベルさんはアルムによって少しづつ変えられてしまう

作中読んでいれば、フーガがアルムのことを嫌っていないのは分かる。だけど、何のしがらみもなく好いていたわけでもなかったと思う。

おもしろくない。あいつが来てからリーベルさんは少しづつ変わっていく。俺のヒーローだったのに

そんな気持ちは少なからずあっただろう。彼も作中で自身のそんな気持ちを言及している場面がある

 

フーガは強く、真っ直ぐで、"俺を見てくれる" リーベルが好きだったんだと思う。リーベルという人を人として見つめることは出来ていなかったのだ

そしてそんな "俺を見てくれる" リーベルさんがアルムに取られてしまった、という可愛らしい嫉妬は、ユニティオーダー戦で自分を助けてくれなかった、アルムの方へ行ってしまったという気持ちで憎悪に変わってしまう

 

もちろん彼も、なぜあの時リーベルが自分の元へ来なかったのか。来なかったのではなく、クヴァルとの戦いのせいで来れなかったのだと分かってはいる。だけど、頭で理解するのと、心で理解することは別だ。頭では分かってる。だけど、それでも、やはり助けに来て欲しかった。だって貴方は僕のヒーローだったのに

 

こうして心が壊れてしまったんだと思う

怖かった、辛かった、でも独りだった

人の心を壊すには十分すぎるほど残酷な話だ

そして常軌を逸したフーガはアルムさえいなくなれば、リーベルは以前のように戻り、"俺を見てくれる" んじゃないかと考え、行動に移してしまう

おそらく平常時の彼ならそんな阿呆なことは考えなかった。考えたとしても実際にそんな行動を起こすことに意味は無いことを分かっていた

そんなことをした所でリーベルが止まるわけないというのは、彼が一番よく知っていたのだから

 

でも、最期をリーベルに看取られて死んでいくのはきっと幸せだったと思う

俺の所へ来てくれた、俺を見ててくれてる、きっとそれだけで十分だった。だけどそれは人と人の関わりの中ではあまりにも難しい事だった

自分 "だけ" をなんて、なかなかないからね

 

そんなフーガが最期に残す言葉がアルムへの謝罪なのがめちゃくちゃ泣けたな…

なんだかんだ、フーガもアルムのこと好きだったんだよ。リーベルを取られてしまったって気持ちから来る憎悪の方が勝ってしまっただけで

たぶん、ユニティオーダー戦でのことがなければアルムとフーガは良い友人になれただろうし、フーガも物語の最後まで共に戦う仲間の一人でいただろうな

 

それにしても途中のフーガの狂気は本当にすごかった。棗巳波(西山宏太朗)演技上手すぎてビビる

巳波をフーガに当てたのはまさに適役で、昨年とは変わってしっかり自分たちの力で実力つけてきたŹOOĻの、その中でも飛び抜けて演技が上手い巳波があの役に当てられてるのはめちゃくちゃ計算されてるなと感じた

メインストーリーでの話、キャラの特性をそういう細部に凝らすあたりがアイドリッシュセブンを信頼出来る理由だなあと改めて思った

彼らをただのコンテンツ上のキャラではなく、生きているものとしていることがよく伝わってくる

 

 

このフーガと対になっているのがクヴァルなんじゃないかと勝手に思っていて。クヴァルとフーガの違いは、相手に自分の思いをきちんと伝えたか、そして相手の声を聞いたか、なんじゃないかと思う

 

フーガは自分の中にある理想像のリーベルから離れられず、リーベル自身(自分だけを見てくれる訳では無い、完全無欠ではないリーベル)を見れなかったし、自分の気持ちをリーベルへ伝えることも最後までできなかった

それに対してクヴァルは友人になりたいという気持ちを真っ直ぐアルムへ向け、アルムから返された言葉にもきちんと向き合った。果たしてアルムと友人になれなかったのは本当にリーベルのせいなのか、否、自分がアルムをアルムとして見ていなかったからだということに気づいた

 

フーガもクヴァルも、対象は違えどリーベルとアルムをそれぞれに崇め奉っていた。その独り善がりな愛情と尊敬を独り善がりなまま終わらせてしまったフーガと、きちんと相手とも自分とも向き合ったクヴァルとの対比なのかな、と感じた

 

 

シャオ、あまりにもあっさり死んでしまってちょっと寂しかったんですけども。(ビジュが最高でしたので…そしてラスボス感ありましたので…)ロイエ隊長との関係性は最高でしたね。ああいう話だいすき

 

シャオはおそらく、幼い頃に拾われ、自分の安全を守ることに必死で、下界のことは無理にでも見ないふりを決め込んで、ただ戦う術だけを身につけて必死で生きてきたんだと思う

知っている。あの惨状を、あの中で生き抜くつらさを、厳しさを。それでも、僕にできることなんてほんのひと握りしかない

それなら、上(アーク)で出来た同僚や、あの荒野から拾い育ててくれた父親のために、できる限りのことを

 

そうやって、彼は彼なりに生きていたんだと思う。それを責めることは誰にも出来ない

もちろん彼が地上の事情を見て見ぬふりをしてきていたことは最低だけど、それは案外、この物語に出て来ている人はみんな同じだと思う

みんな自分以外を見て見ぬふりしてる

 

そしてシャオの死を知った(アルムに自白された)ロイエ隊長が、憤るわけでもなくただ静かに昔話をするのが印象的だった

ロイエ隊長はアルムのことを赦せないだろうけど、でもアルムがそんな力をつけてしまったのは自分達のせいで、(知らなかったとはいえ)その力にあやかっていたのも自分達だから、きっとアルムだけを責めることは出来ないだろうな
シャオが死んだのは巡り巡って自分たちのせいでもあるからな…

天子の力のおかげで自分たちはいい暮らしが出来ていたけど、その天子の力を以て自分の大切な人が死んでしまった

逃げ場のない話…こわい…

 

 

ヴィダは、え、お前死ぬんか!?という感じでしたけども。だって主題歌TRIGGERだよ?主要人物のはずじゃん…死ぬんか…死ぬんやな…

 

ヴィダがもう少し黒縄夜行以外にも目を向けられる子だったら結果は変わってただろうと思う

彼の目的は安寧に暮らすことじゃなくて、自分たちの受けてきた屈辱をその他大勢にやり返すってことだったから、たとえあのまま生きていたとしても彼は一生幸せになれなかったんじゃないかな

だけど、だからこそ彼も幸せになれる方法はあったはずで、それは結局アークやら地上やらという格差がなけば実現されたのだと思う

それがなければ黒縄夜行という組織は生まれず、彼は死者の声に囚われることも無く、ただ笑って過ごせていただろうな

 

アルムたちは周りの助けがあって希望に向かっているけど、ことヴィダに関しては周りがどうこう言ったから変わるような人間ではなかったので(実際、家族同然のオルカが必死に説得してもダメだった)

地上とアークという格差がある世界に生まれた以上、どんな道を歩んでも、彼に対して笑顔のハッピーエンドは待っていなかったんじゃないかな、と思った

 

私はこの黒縄夜行というグループが、大好きだけど理解し難くて。彼らの関係性はとても好き

狭いコミュニティ内で仲間を大切にし、その他を異物と排除する。日本人の典型的なタイプを誇張すればこんな感じだと思う

だからこそ彼らは仲間は誰より大切にしていたグループだった

けど彼らのやっている「僕らの与えられた傷みを周りに返す」というやり方は、結果ただのイタチごっこでしかないと思う。終わりの見えないループ

そんなことをして幸せになれる人間はゼロだ

本当に仲間を大切にし、黒縄夜行を守っていく意志があったなら、ヴィダにもオルカのような心が必要だった。過去や狭いコミュニティに縛られたままではいけなかった

 

オルカはそのことに気づけたけど、ヴィダはそこに気づけなかった

死者の声に囚われ、過去の仲間を大切にしすぎたが為に、目の前の、その先の仲間を見ることが出来なかった

それは黒縄夜行の正しい在り方で、だけど間違った結果を連れてきた

何が良かったのかなんて分からないけど、みんなで笑って過ごすには、オルカのような外へ目を向ける強さも必要だったんだと思う

 

 

ミゼリコルドめちゃくちゃなラスボスだったな

エーテルネーアはお前を友達だと言ったのに…ミゼリコルド…許せない…

まぁでも彼は彼で自分の世界が壊れるのが怖かったんだろうな

天子を失えば今ほどの良い暮らしができないことは分かっていたし、非難を受けるのはナーヴ教会であることも避けられなかった

人としてはある意味の正しい選択だったのかもしれない

だからって許せるわけじゃないけど

 

 

そしてまさかの選択肢

世界は二分されているってそういう意味もあったんか…と一人で頭抱えた

 

ただ、これに関してはどちらが良いとか正規だとかそういうレベルの話じゃないなと思った

完全なハッピーエンドにはなれないことは、たくさんの思想がぶつかり、たくさんの人間が死んで行った話の流れからして分かっていたけど、まさかここまで救いのない話になるとは思わなかったな

 

まず上選択肢の話から

リーベルに責められたとて、共に永遠を生きることを選んだアルム。それにしても地下3人が死ぬとは予想外でした…でも彼らはそれで良かったのかな。かける言葉はお疲れ様、安らかに、それで十分だ

 

1000年以上という途方もない時間を、クオンは「あれだけ、時間があったからカバネのことなら何となく分かる」と言い、カバネは「あれだけ、時間があったのにクオンときちんと話をできなかった」と言った

この対比もまた、おもしろいなと思った

 

カバネは恐らく、あの時自分が正義と信じて取った行動がクオンを永遠に縛り付けてしまったことへの罪悪感とともに、クオンさえ助けなければ自分がこんな目にあうこともなかったという憤りも感じていたんだと思う。だからこそ、彼と向き合えず、遠ざけるようになってしまった

だけどクオンは、永遠を生きることは苦しいけど、助けてもらわなければ良かったと思ったことは1度もないと言っていた

相手を真っ直ぐ見れなかったが為に、1000年もの時があっても後悔を残したカバネと、相手をきちんと見ていたからこそ、今さら何ともないクオン

何年生きようと、死ぬ時どうかはそれまでの生き様次第って事なのかな

 

そんなカバネとクオンが信じた、アルムとリーベルの自分たちとは違う未来を、アルム自身がカバネたちと重ねて「だって彼らがそうだった」って不安そうにしてるのがたまらなかった。大丈夫、アルムとリーベルなら違う未来も描ける、そう信じてくれた人がいたのに、やはりその場に立てば不安になる。その人間らしさが綺麗だった

 

上選択肢ですごく印象深かったのは、「俺も共に永遠を」と言えなかったクヴァルに対して、アルムが「それでいい」と返せたこと

これまでのアルムなら、友なら名前を呼んでくれと言っていたアルムなら、たぶんこんな返しは出来なかった。それまで形あるものに縋っていた彼は、リーベルたちと出会い、クヴァルと本音で話し、目には見えなくとも確かにそこにある愛情や絆を感じられるようになっていたんだと思う。だから「お前はそれでいい、それでも友達であることは変わらない」と言えたんだろう

 

 

そして下選択肢

個人的にはこっちのほうがハッピーエンドかな、と思った。でも上選択肢で主題歌の曲名回収されているからそっちがトゥルーエンドなのかな…わからん

それはどっちでもいいんだけど

 

下選択肢では、アイドリッシュセブンの劇中劇として、アイドルの演じた劇としての照準を合わせることに重点が置かれている気がした

 

特にアルムの「私は天子だった」から後が、まさにそれで。アイドルっていうのは、みんなに、ファンに崇め奉られ、まるで完全無欠、全ての期待に応え、夢を与えるためだけの偶像のような、天子のような扱いを受けることが多いし、それを受けて応えていくのが仕事

だけど彼らは完璧じゃない。そんな風に崇められる程できた神様じゃない。ただの、その辺と同じ人間だ

だからいっぱい助けてほしい。励ましてほしい。そうやってファンと、周りのスタッフと仲間と、そんな人達に支えられながら彼らはやっと立っていられる。その恩返しに、少しでも希望を与え、背中を押すことが出来たなら

 

きっと、アイドリッシュセブンが目指しているものはこれだと思う。だから彼らは、このコンテンツは、私たちファンを大切にしてくれるし、アイドルを人間として描ける。それをここのアルムを通して感じられて良かった

 

そしてダンス・マカブル全体を通して伝えられていた「死は終わりではない」ということが最後に集約されていたように感じた

 

ナーヴ教会に捕らわれていた頃、アルムは生きていたけど、生きながらに死んでいたと思う。そして作中死んでいった彼らは、死んでしまったけど、まだ誰かの中で生きているのなら、そこに何も無くなってしまった訳ではない。実際、死んでいったフーガの教えたパンチは、アルムが身を守る術となってる。あそこ耐えられずぼろぼろ泣いてしまった…

死は終わりではない。だからといって始まりかといえば、そんな綺麗事が言えるほどの世界ではないけれど。でも、彼らの命は、残したものは、すぐにすぐ消え去るようなものでは無いはずだから。

 

 

なんにせよ終わりましたねダンス・マカブル

これを書き始めたのはつい昨日

まさか最後がこうなるとは…という気持ちだけど、綺麗なハッピーエンドじゃないけど、でも確かな世界観があって良かった

題材が題材なだけに、めちゃくちゃつらかったし正解も分からないけど、でもこの世界はこれだから成り立っているのだと感じた

登場人物の全てに説得力があって、ifを考えられない

強い物語だったと思います

 

 

ちょっと読み進めるのがしんどいこともあったけど、やっぱりアイドリッシュセブンは信頼のおけるコンテンツだなと改めて感じました

 

ありがとうアイドリッシュセブン

 

 

 

たからもの

 

久しぶりに『ワケあり生徒会!』を読み返した

 

今までにも数え切れないくらい読んできたけど、無印と呼ばれる始まりのシリーズを、数巻抜粋ではなく、1~10巻まで全て通して読んだのはすごく久しぶりだったと思う

 

読み返してみて、やっぱり私にとって『ワケあり生徒会!』はどうしようもなく特別な存在だと感じた

 

 

 

もう本当に、これは信仰の類だと思うんだけど、そう自覚はしてるんだけど、『ワケあり生徒会!』以上に綺麗な物語に出逢ったことがないし、きっとこれから先も、これを超える文学には出逢えないと思う

 

『ワケあり生徒会!』は魔法のiらんどに掲載されていたケータイ小説が書籍化されたものだ

 

第1巻の初版が刊行されたのは2012年

サイト時代も含めれば、今から8年以上前に始まった

 

私が『ワケあり生徒会!』に出逢ったのはおそらく小学5年生の時だったと思う

その頃クラスで流行っていた、ケータイ小説の回し読みの中でクラスメイトから貸してもらった

 

初めて読んだ時は、とにかく出てくる男の子たちがかっこよくて、物語が重たくて(好物 : ドシリアス展開)、何より、誰よりも真っ直ぐで強くて芯のある主人公の女の子のことが好きになった

 

多分この頃から私のオタク的嗜好は形成されていたんだな、と、今になって思う

芯のある強くてかっこいい、だけど女性らしい可愛らしさも兼ね備えた女の子には惹かれる

守ってもらうだけのヒロインなんて要らないとさえ思う

重たい展開が好きなのなんて、アイドリッシュセブンが好きな時点で言わずもがなだ

 

少し話が逸れたけど、この時はこれだけ

小学6年生の途中くらいから回し読みブームも廃れ、その頃にはまだ、3~4巻までしか出ていなかったから、そこまでしか読まなかった

 

だけど中学に上がり、ふとした時に当時『ワケあり生徒会!』を貸してくれていた友人に既に1stシーズンは完結し、新シリーズまで始まっていると聞き、5巻以降を彼女に借りた

 

初めて読んだ時から2年と数ヶ月

ほんの少しだけど大人になっていた私は、その物語の美しさに驚いた

 

小学生の頃には浅く、表面上でしか理解できなかった登場人物たちの感情

物語に秘められたたくさんの伏線

そして、深く深く、見えない場所できつく絡まる複雑な思い

 

ただのかっこいい男の子と女の子の話だと思っていたものが、彼らの感情、そして周りもを巻き込む大きくて美しい物語だったと気がついた時の、あの何とも形容し難い気持ちを私は一生忘れられないと思う

 

その後、近所の本屋で全巻を買い集め、何度も何度も、本当に数え切れないほど読み返した

 

思い返してみれば、『ワケあり生徒会!』は、辛い時やしんどい時に読むことが多かったな、と思う

 

受験期なんかは本当にお世話になった

 

どうしてもこの気持ちを共有したくて、誰かに話したくて、ネットを漁って見つけたファンの立ち上げたサイトでは、他の何にも代え難い友達もできた

 

本当に、『ワケあり生徒会!』にはたくさんのものをもらっていると思う

 

 

 

 

 

私は、同い年の人の中では、たぶん、どちらかと言えば " よく本を読む " 人間で、今までにもいろんな本を読んできたと思う

話題の作品も、何かしらの賞作品も、マイナーなものも

 

だけど、どんなに " 良い " とされる本を読んでも、どんなにその作品に感銘を受けても、やっぱりいつも戻ってくるのは『ワケあり生徒会!』で

 

文章の綺麗さも、物語の緻密さも、美しさも、桁違い

 

言葉にはならない登場人物たちの感情だって、たった一つとして蔑ろにはしない

 

人と人の関わり合いの中で生まれる、複雑に絡まり合って、変化して、矛盾していく感情を、ひとつひとつ丁寧に、決して偽りなんてない状態で描いてくれる

 

だからこそ、こんなにも愛おしく、そんな文章を読んでいると、彼らは確かに生きているのだと感じる

 

どんなに足掻いてもどうにもならない現実に、正解だとはいえなくとも、必死に、真っ直ぐに、向かい合っていくその姿に何度も救われてきた

 

 

 

 

私がこんなにもこの作品に心酔している理由のひとつは、読み返す度に新しい感情を教えてくれることだと思う

 

既に彼らの年齢を上回ってしまった今でも、彼らに追いつくことも、まして並ぶことさえできなかったと思うけど、それでも、歳が近づくにつれて分かることもあったし、大学生になった今でも、この作品に教えてもらうことがたくさんある

 

私は、物語の中で再三出てくる「全く同じ経験をしていない自分には、相手の気持ちを共有はできても共感はできない」「同じ経験をしたことがない限り、この思考は想像の域を出られない」という考え方がすごく好きだ

 

自分の気持ちを押し付けるのではない彼女達の生き方はとても美しい

 

いつだって彼らの世界の中心は、彼ら以外だ

 

私もそんな人間になれたら、と、いつも思う

 

まだまだ到底、足元にも及ばないけど

 

 

 

 

『ワケあり生徒会!』に出逢って、大袈裟でも何でもなく、世界が変わった

この作品に出逢えてなければ知ることもできなかった感情がたくさんある

気付くことさえなかった世界がある

 

『ワケあり生徒会!』は、私にとって、本当に特別で、大切な作品です

 

この作品から抱え切れない程のたくさんのものをもらった

それらは全部、これから先、きっと一生、私の糧となってくれる

そんな素敵な作品に出逢えて良かったと、今日、改めて思った

 

 

 

 

出逢ってくれて、本当にありがとう

 

 

 

 

愛しています

 

 

 

 

1年前の今日

 

アイドリッシュセブン 2nd LIVE REUNION から 早いものでもう1年が過ぎた

 

私はコスプレや舞台などの所謂2.5次元と呼ばれる類のものがあまり得意ではない

もちろん、それらを好きな人や演者さんたちを貶めるつもりはないのだけど、少なくとも私は今まで避けてきた

 

私がアイドリッシュセブンを知ってすぐくらいに1stライブの告知が出た

その頃は行く気なんてさらさら無かった

まだアイドリッシュセブンにそこまで熱が入ってなかったし、前述の通り2.5次元系のものが得意ではないから

 

だけどライブ後の周りの盛り上がりを見て 行かなかったことを心底後悔した

みんなが楽しそうで、すごくすごく羨ましくて、2ndは絶対行きたいと思った‪

 

翌年に迎えたREUNIONは日程が学校の定期テストとモロ被りで、行くか迷った

学校の定期テスト、まして高校3年時のテストを軽視してはいけないことは分かっていたけど、今年も行かなかったら絶対後悔すると思った

さすがに現地には行けず 地元で行われたライブビューイングに申し込んだ‬

 

テストが終わると1番に学校を飛び出した

急いで家へ帰って 目一杯のお洒落をした

この日のために新しいワンピースを下ろした

開場の1時間も前に会場に着いてしまった

準備をしている時から始まるまでずっとワクワクしていた

 

会場の照明が落とされ パフォーマンスが始まると そこにはアイドルがいた

作中のキャラクターそのままの人、素の自分で楽しんでいる人、たまに素が出る人、いろんな演者さんがいたけど、そこには紛れもなくIDOLiSH7とTRIGGERとRe:valeとŹOOĻがいた


4時間以上続いたはずのライブは‪一瞬で終わった

本当に楽しかった‬‪

夢みたいな時間だった

アイドルって、声優さんってすごい

 

アイドリッシュセブンと出逢えて良かったと心から思えた日だった

 

2年連続で開催されたナナライだけど 今年は行われなかった

毎年やるほどの資金力と企画力がなかったのかもしれないし、なにか別の理由があるのかもしれない

 

だけど私はそれで良かったと思っている

 

IDOLiSH7の和泉三月役を演じている 声優の代永翼さんが 昨年末頃に発声障害により活動を制限することを発表した

この状態でライブが行われるとしたら 恐らく彼はステージには立たないだろう

そんなの嫌だった

私のワガママかもしれない

そうだとしても開催して欲しいと願っているファンもいるはずだ

でも 例え欠けるのが誰かひとりだけだったとしても 16人全員が揃わないライブなんて嫌だ

 

REUNIONの時 メインストーリーの流れから もしかしたらナギくんがステージに立たないんじゃないか なんて不安があった

もちろん、何の根拠もない 私の勝手な考えだったんだけど すごく嫌だったし怖かった

そういう演出だとしても嫌だった

 

だからステージで7人揃って笑い合うIDOLiSH7を見た時 涙が溢れて止まらなかった

彼らは7人だから輝いているんだと思った

 

幸せすぎたあの時間は あの7人だから 16人が揃っていたから実現できたんだと思う

 

何年先になってもいいから 次のステージも 7人で、16人みんな揃って 笑っていて欲しい

それを願わずにはいられない

 

A3! メインストーリー 第10幕 夢の跡 感想

 

永遠なんてない、それでも_

CMで、そしてPVで何度も耳にして、聞く度に心震わせていた言葉

これはもうどうしたって言語化できないんだけど、咲也くんの声でこの言葉を聞く度、泣きそうな気持ちで胸がいっぱいになっていた

それを、それほどの力と意味を持ったこの言葉を、あの場面で 咲也くんが言うことの意味、必要性

うまく説明は出来ないけど、彼は、彼らは、MANKAIカンパニーはもう大丈夫だと思った

 

私はどちらかと言えば初代の人達寄りの考え方をするほうで

どうせいつか別れが来るんだから、永遠なんてないんだから、意識したことは無かったけど ずっと 心のどこかでそう思って生きてきた

だけど咲也くんの、天馬くんの、万里くんの、紬さんの言葉を聞いて、今この瞬間は永遠には続かないけど、ここでもらった気持ち、やってきたことは、永遠に 死ぬまで続いていくんだって思った

確かにそうかもしれない

中学も高校も、部活のチームメイトやクラスメイトにはもう連絡もとっていないような人が多いけど、それでも あの頃の気持ちが、あの子たちとの楽しかった日々がなかったことになる訳じゃない

だってあの時は、たしかに楽しかった 幸せだった

未だにその頃の気持ちが鮮明に思い出せるくらいには

 

この思いや経験は永遠に、私が死ぬまで続いていくんだ

そう思うと、これまでの日々全てが愛おしくなった

当たり前のことかもしれないけど、とても大切なことだと思った

 

きっと初代の人たちだって、本気で言ってたわけじゃない

だけど本心だったんだと思う

 

初代組だって仲間との永遠を本気で信じてた

彼らと永遠に芝居を続けていくことを心から望んでた

それでもそれは果たされなかった

誰にもどうしようもない " 時間の流れ " に逆らえず そうなる運命を受け入れるしか無かった

 

そして ある意味では賢く ある意味ではずるい大人たちは 永遠なんてないのだと自分に言い聞かせることにした

いつか終わりが来るものであったのだから、あの時の別れは 仕方がなかったのだと

そうしてようやくあの日々を忘れられるのだと 信じて疑わなかった

 

それでもやはり 過去に焦がれる気持ちは日を追う毎に強くなる

心のどこかでは 永遠を、もう一度あの日々が戻ってくることを期待してしまう

楽しかったあの日々を懐かしく そして仲間とがむしゃらに頑張って笑い合っていたあの頃の自分を妬ましく思う気持ちは 簡単に消えてはくれない

たとえ今が幸せだったとしても

 

もう一度、あの頃のように、アイツらと

 

だけどそれは 1度あの日々を手放した自分たちには叶えられぬ願いだ

雄三さんが言ったようにあの場所はもう他の誰かのための場所だから

彼らはそれを痛いほどわかって居た

 

そして 新生組と出会い もう一度 物語が始まる

 

楽しかったはずのあの日々を どこか悲観的に見てしまっていた自分たちに代えて 若い彼らは自分たちの穿ったその見方を覆す

たとえ交わるのが一瞬だとしても 今の仲間は確かに本物だ、と あの頃の自分が言いたかった言葉を 怖くて口に出来なかった言葉を 叫んでくれる

仕方がなかったのだと自分に言い聞かせることでようやく忘れられたと思っていたあの日々を 思い出させてくれる

 

懐かしいメンバーが揃えば そこはたちまち あの頃と同じになる

永遠なんてないのだと もう二度と戻ってこないのだと思っていたあの頃の気持ちが いとも簡単に蘇ってくる

何度季節が巡っても あの頃と立場が違っても 確かに彼らは仲間だから

 

たった1人の演劇バカから始まったMANKAIカンパニーには いつしか沢山の人が集まり 笑顔を咲かせる場となり、そこで得た経験を元に仲間たちは新しい夢へ向かった

そうして1度は寂れてしまったMANKAIカンパニーだが 今また 演劇バカな少年の手によってたくさんの笑い声が響いている

 

1度は道を違えた自分たちも 数年後の今 こうしてまた昔のように笑い合うことが出来ている

 

永遠なんてものは無いかもしれない

それでも続いていくもの 受け継がれるものは確かにある

 

それを知った彼らは それを知っている彼らは もう二度と迷わないだろう

 

 

 

 

ここで少しだけ 雛森さんについて触れておきたいと思う

彼は芝居や仲間に対する劣等感から 退団を望んだ

一見 他のみんなとは違う 負な理由である気がする(私もついさっきまでそう考えていた)

だけどよく考えたら これはこれで正解だったんだと思う

 

劣等感を抱えたまま続けるのは苦しい

特にそのものが好きであれば好きであるほど

自分より優秀な人と並べられ 比べられ 何度も烙印を押される(あるいは自分で押してしまう)

好きな気持ちと技術は 必ずしも釣り合う訳では無い

 

大好きだったはずのものが 少しずつ苦痛に変わる

好きなのか 分からなくなる

これほどまでに苦しいことは無いような気がする

 

好きなものを好きだと言い続けるために 彼が選んだ芝居や舞台を裏から支え、自分の好きを発信できる " 雑誌編集 " という仕事は まさに彼にとって天職だったんだろう

もちろん、娘さんたちが言っていたように 1番は今でも芝居だろうけど

 

 

 

 

夢の跡の舞台 本当に素敵でした

特に綴くんが最後まで甘っちょろいご都合主義を貫いたところはすごく良かった

彼が柊さんの言葉は図星だったって言っていた通り、自分の弱点なんて自分が一番よく分かってるはずで

分かっていたけど、彼は今までそれを変えなかったし変えられなかった

それが他人の言葉で簡単に変わるはずもなくて

もちろん、物語的にはあそこで綴くんが大きな成長を遂げた方が良かったのかもしれないけど、彼の本の良さが甘くて優しい結末にあるのもまた事実で

舞台なんだから、造物なんだから、甘っちょろいご都合主義だっていいと思う

それが綴くんの描きたいもの、見たい世界なら、それによって救われる人も少なからずいるから

 

綴くんが迷った時、芝居で彼を支え、彼の悩みに応えるっていうのがすごく春組らしいなと思った

思えば 劇団員が集まらなくて困っていた時も、みんなと心を通わせることが出来なくて迷った時も、5人の形を保っていられなくなりそうになった時も、春組はいつも芝居と舞台で挑んできた

みんながそれぞれに成長して 永遠を純粋に追い掛けられる程の子供にはもう戻れなくなった今だけど やっぱり根本は何も変わってないんだって感じられた

彼らはずっと 舞台が好きで 仲間が好きで 芝居に救われてきた

 

これは夏組にも言えることで

夏組が夏組として 仲間として笑い合うきっかけになったあの合宿場をここで持ってくるのはすごくいい演出だったと思う

永遠なんてない、だけど変わらないものは確かにある

今回 終幕に向かっていく雰囲気が漂う中で 第10幕全体を通してそれを感じられたのはすごく良かった

 

つい最近アニメを見ていたせいか 春夏に関しては要所要所で成長を感じて涙腺が…

初めはあんなに監督以外に興味がなかった真澄くんが綴くんの世話を焼くようになっただとか、天馬くんの事を苦手に思っていた椋くんが彼の為に何かしてあげたいって躍起になってるところだとか、一成くんが「やりたい事なんてひとつじゃなくていいんだよ」って背中を押すところだとか、真澄くんが「家族でも思ってることは言わないと伝わらない」って言い切ってくれたところとか、他にもたくさん

今まで彼らが歩んできた道を垣間見ることができて胸がいっぱいになった

 

今までのMANKAIカンパニーとこれからのMANKAIカンパニー

その全てが詰まった第10幕だったと思います

 

上手く言葉に出来ないけど、とても大事なものを教えてもらいました

 

それにしても 想像以上に大きなものを相手にした スケールの大きい話に発展しそうな予感がしますね…

実はA3!のその仰々しい感じがあまり得意では無いので(小声)最後を気持ちよく終われるかすごく不安です(小声)

 

何なら今回が最後でもいいくらい、私的には満足で胸がいっぱいになったストーリーでした

 

ほんと、この読了後の「何か(具体的ではなくとも)大切なものを教えてもらった」っていう感覚はそう味わえるものでは無いので、すごくいい物語だったと思います

 

今回でA3!の株が爆上がりしましたね

やっぱり1本筋を決めて進めていく物語は強い

PVの効果も大きいと思います

あのPVにはかなり心奪われていたので

 

兎にも角にも、1/2 EVER LASTING お疲れ様でした

後半 2/2 FULL BLOOMING も楽しみにしています

 

A3! メインストーリー 第9幕 失われた日々を求めて 感想

 

ようやくというか、今更というか

A3! 第9幕を読み終えた

公開から読了まで かなり時間を要してしまった

実は最近 A3!があまり好きではなくて

もうアプリを消してしまおうかな、なんて考えたこともあるくらい

だけど第9幕を読んで やっぱり私はA3!が好きだなぁと再確認することが出来た

 

GOD座と再度タイマンACTをすることになった時、まさか太一くんが立候補するとは思ってなくて 本当に驚いた

太一くんにとってGOD座時代は忘れたくて、忘れられなくて そんな苦しい暗い過去なんだと思っていたから

どれだけ謝って誠心誠意尽くしたって、みんなに許してもらえたって、自分の中の罪悪感はそう簡単に消えるものじゃない

ずっと付き合っていかなくちゃいけないし、謝ったって許してもらったって赦されはしない、それだけのことを自分がやらかしたんだって事実を忘れちゃいけない

でも 赦されなくとも、罪悪感を抱えたままでも、そんな過去を乗り越えてやりたいって思えるほど強くなっていたことに心底驚いた

私はあまり イベントに熱心なほうじゃないから 饅頭拳のことはよく知らないんだけど、きっとそこで何か大きなものを得たんだろうな(こうやってイベストがメインに絡まってくるのは非課金時間不足学生プレイヤーにはしんどい…)

 

A3!は「みんなが主役」というイメージが強くて

最初に劇団にいたのは咲也くんだけど、いつも彼が中心な訳では無いし、各組にリーダーはいるけど、彼らが裏方に回る時もある

それがとても面白く感じる

だから 今回の「太一と紬にフォーカスした秋冬組」というのは良いなと思った

ここで春や夏が出てきてしまうと 話が散らばってしまっていただろうから

今回の春夏はあくまでも裏から支える役目

主役は太一くんと紬さん(板の上ではなく、物語上の話)

この構成だからこそ GOD座との対立もより際立っていたと思う

GOD座に悔しい思いさせられたのは紬さんだけでは無いからね

太一くんにもGOD座と戦える機会があって良かった

やられっぱなしじゃそこで立ち止まったままになってしまうよね

負けでも勝ちでもいいから、進まないと

 

それから太一くんが自分に近い役を、紬さんが自分からは遠い役を望んだのも 2人の成長やGOD座(レニさん)に対する気持ちが見えておもしろかった

秋組に入る前は他人の真似をして自分を殺していた太一くんが自分を生かした自分らしい役を望み、今までの演技に自分を生かしてきた紬さんが自分を殺した役を演じる

そうすることでGOD座にいた頃の、今までの自分の殻を破ろうとする2人の強い決意が見えたし、周りのサポートの道筋も立った

 

A3!のすごいところは 役者の内面描写だけじゃなくて 芝居の構築もしっかり見せてくれるところだと思う

太一くんは今回 そのままの自分でも輝けるんだってことを証明することが目的だったから そのままの自分を演じればよかったんだけど、前回のタイマンACTでそのステップを済ませている紬さんは今回 自分とは真逆の存在を演じるわけで。そうなれば当然 演技には高度なものが求められる

人が人ならざるものを演じ、善良な紬さんが悪を自分の中に落し入れる

それが如何に大変なことか 演技なんて大して経験したことの無い私でもわかる

そこを冬組という仲間の力を借りて上手く嵌め込んでいくのはA3!らしいなと感じた

 

A3!は仲間との繋がりを何より大切にするよね

家族も出てこない訳では無いけど、結局は仲間

だからこそ組という小さな集団が大きな存在感を放つし、24人いてもちゃんとまとまりが出る

仲間か 家族か どちらかひとつにフォーカスして、そこからブレない

とても大事なことだと思う

 

万里くんと十座くんが太一くんの異変に気づいて話を聞いてあげるお兄さんっぷりも最高でしたね

あの2人は本当、面倒見いいんだよなぁ

秋組は年少2人以外みんなそんな感じだけど

今までたくさん頑張ってきた年少組にはたっぷり甘やかされておいてほしいです

 

つ〜か初代秋冬リーダーほんと良いな

まずは言わずもがな顔が良い

それから 冬の脆く儚い感じも、秋の強く優しい感じも 初代がこうあってくれたからこそ今があるんだなって感じられて良かった

ここから先、春夏の初代との絡みも楽しみだなぁ

雛森さんは何したのよほんと…何で仲間を避けてるの…

たぶん大丈夫だから、早く戻ってきて欲しいな

あの輪の中に貴方は必要だと思うの

 

円くんの本を志太くんと晴翔くんが演じたのもすごく良かったんだけど、GOD座の、レニさんの思い描く悪魔が見てみたかったな、という気持ちも少なからずある

レニさんは神に選ばれた人間だけが板の上で美しく咲けるんだと信じてる

だからこそ MANKAIカンパニーを否定しようと2度もタイマンACTを挑んできたし、MANKAIカンパニーに対立するようなGOD座を創って導いてきた

そんなレニさんの悪魔(=幸夫さんに対する気持ち)をあの二人の芝居で見てみたかったな

 

でも レニさんをただの悪じゃなくて、ちゃんと芝居に愛があって誠意もある人間として描いていたのはすごく良かったと思う

A3!のキャラクターはみんな芝居が大好きなんだよな

みんな芝居の尊さも深さも知ってる

だからこそ愛がある

舞台を題材にするコンテンツとして素敵な事だと思います

 

円くんの本もすごく良かった

三角くんのこと嫌いなわけじゃなかったんだね

自分とは違う兄が羨ましかっただけなんだ

だけど あの舞台の二人のように 違う道でもそれぞれ輝けることを知ったならもう大丈夫なんじゃないかな

このあと 三角くんと会ってどうなるかは分からないけど 2人がまた笑って兄弟に戻れるといいな

 

莇くんと志太くんのことはあまりにあっさり解決したから拍子抜けしてしまった

自分がずっと追いかけていた演劇の夢を幼なじみで大親友に先に叶えられてしまった志太くんの嫉妬は決して軽いものでは無いと思うし、自分が無神経なことをして 無意識に大親友を傷つけてしまっていたんだってことに気付いた莇くんの気持ちだってそう簡単に救われるものじゃないと思う

でも 友達との喧嘩なんて意外とそんなものだったりするのかな

こういうあっさりした片のつけ方はある意味では2人が今まで築き上げてきた信頼や愛情を見せてくれるものでもあったのかもしれない

学生ってことも関係しているだろう

大人になってこうなると そう簡単には終わらないからな…意地やプライドや罪悪感や いろんなものに振り回されてどうしたって紬さんと丞さんみたいに拗れる

大人になって素直に友達とぶつかり合うってなかなか難しい

まぁ、学生だとしてもやっぱり互いに思うところはあるだろうし、もう少し深い感情の部分を見せてくれても良かったんじゃないかな とは思うけど 今はそのターンじゃないってことなのかな

今回のメインはGOD座との対決によって太一くんと紬さんの成長を描くことだったんだろうし

 

初代カンパニーと新生カンパニーの絡み

レニさんの口から何が語られるのか

円くんと三角くんの関係はどうなるのか

この先も楽しみなことがたくさんある

それに九角さんやチンピラは誰の指示で動いていたのかっていうのも多少のモヤが残ったままだし

兎にも角にも 早く続きが見たいですね